2011年9月、
私は岩手県の山田町にいきました。
山田マチなので、山田町にいきました。
こんな理由でふらりと訪ねた私を、
山田町のみなさんは、笑って歓迎してくださいました。
10月に開催した展覧会「山田の秋の文化祭」で、
山田町の山田マップを発表したり、
記事を書いた冊子を販売したりしたのですが、
まだまだ書き足りないことがあるので、
このブログでも、山田町での出来事を書こうと思います。
どうぞお付き合いくださいませ。
まずは山田町に向かった1日目のことから。。。
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山田町は、岩手県の沿岸部の真ん中くらいのところにあります。
盛岡から出ている「JR山田線」
…に乗車するのが夢だったのですが、
津波により沿岸部の線路が流され、
山田線で山田町まで辿り着くことは叶わず。
なので盛岡から車を借りて向かうことにしました。
盛岡で宮沢賢治の銅像に挨拶し、冷麺を食べ、さあ出発です。
国道106号線をひたすらまっすぐ行き、
宮古市に入ったら国道45号線に入り、またひたすらまっすぐ、
というシンプルな道のりなので、
方向音痴の私にも余裕のドライブです。
おだやかな山道を気持ちよく走っていると、
左手の緑のなかに線路を発見。
あれは、憧れの山田線じゃないか!
記念に切符だけでも買えばよかったなぁ。
山田線を右に見たり左に見たりしながら、
まっすぐ、まっすぐ約2時間。
45号線に入り30分ほど走ったら、
案内看板が見えてきました。
山田湾だ!
いよいよ山田へ。
山田町を訪れるにあたり、
完全なる方向音痴で地図の読めない山田は、
銀座にある岩手のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」に行き、
山田町の観光地図をもらっていました。
駅、交番、銀行、郵便局、飲食店、民宿、土産物屋などが、
大きな紙に大きな字で、これでもかというほど分かりやすく、
丁寧に書き込まれています。
これさえあれば、と自信満々に山田町に突入した私でしたが、
その地図がまったく意味をなさないことが、
徐々にわかってきました。
ない。ない。ない。なにもない!
国道45号線は、海沿いを走る道です。
その国道沿いに漁協があり、人が住み、町が栄え、
主要な施設やお店は、ほぼすべてそのあたりに集中しています。
それらが、いっさいがっさい、ほとんどなにもない。
山田町は、津波のあと、火事にもみまわれました。
あたり一帯、焼けこげた地面と、
わずかに残るコンクリートの基礎部分が見えているだけ。
骨組みだけ残っている建物もありますが、
もはやそれが何であったのか、分かるすべはありません。
目印にしようとしていた山田交番も山田郵便局も、
見つけられる気がしない。
指折り数えながら進もうと思っていた信号も、ない。
山田パニック!
とにかくどこかに車を停めて、現在地を確認しようと、
国道から、かろうじて道とわかる道に入ってみました。
建物も駐車場も道のさかいも何もないのだから、
どこに車を停めてもいいはずなんだけど、
なんだかはばかられ、私のほかに走る車もない道を、
おそるおそる進みます。
すると、1本のまっくろな木がぽつんと立っている、
広場のようなところに辿り着き、
道はそこで途絶えました。
木から少し離れた、とくにきっかけのない場所に、
おとぎ話のように立つバス停の看板。
そこには「山田駅」と書いてあります。
一度降り立ちたいと願っていた「山田駅」は、
北風さんがふっと息を吹きかけたかのように、
消えてなくなっていました。
車を降りました。
360度、ぐるりと、眺めます。
どこの角度からも、遠くの方まで、見渡せます。
空も、山も、地面も。
地図によると、駅にはショッピングセンターがあり、
私が通ってきた道は商店街だったようです。
なくなってしまったんだなぁ。
山田布団店があったかもしれない。
山田クリーニング店があったかもしれない。
喫茶山田があったかもしれない。
山田写真館、山田寿司、山田ベーカリー、
バーバー山田、テーラー山田、スナック山田…
いろんな山田が、あったかもしれない。
津波は、みんなをどこに連れていってしまったんだろう。
バス停の時刻表をみてみました。
パーフェクトでした。
再び45号線に戻り、走り進みます。
「道の駅やまだ」をすぎて少し走ると、
本日から宿泊する「乙女荘」が見えてきました。
山田町は宿泊施設が流されて、
わずかに残る宿は工事の人でいっぱいだ、
と噂に聞き、車中泊や寝袋を覚悟していたのに、
ダメもとで電話したら「あいてますよ〜」とあっさり決まった宿。
しかも「乙女荘」なんていうかわいい名前。うれしい。
いざ駐車場に入ろうとしたら、
入り口のところに紫色の大きなワゴン車が、でーん。
なんじゃこれは。
ワゴン車の一面には、的場浩司の顔が、どーん。
乙女と真逆の顔面が、それは見事にペイントされています。
その横をなんとかすりぬけ、車を停めて玄関にいくと、
笑顔で出迎えてくれたのは、元80年代アイドルのような、
かわいらしい奥さま。
ほっ。乙女だ〜。
2階に案内されると、今度は廊下に青いモンスターが、ずーん。
私がまるごと飲み込まれてしまいそうなほど巨大な、
ひとつ目玉のモンスターのぬいぐるみのおでましです。
再び逆乙女。
一体どうなりたいのだ乙女荘よ。
口をあけて笑うモンスターを横目でみながら部屋に入りました。
こざっぱりと清潔な、風通しの良い6畳間。
今日は私以外に宿泊者はいません。
荷物を置き、畳にぺたりと座りました。
山田町に来たんだなぁ。
しばらく動けなくなりました。
長旅の疲れではなく、
ドアの向こう側にいる青いオバケがこわいからでもなく、
今見てきた光景を、山田町の現実を、
私なりに消化するのに、少し時間が必要だったのです。
人口2万人の山田町、
地震による津波と数日間続いた火災により、
中心部は壊滅状態、
家屋の倒壊3000戸以上、
死者行方不明者は800人を越える…
これまで情報として知っていた数字が、
実感となってせまります。
つづく。
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