2013.02.18 Monday 10:01

ご近所さんのこと。

 

昨日の夕方、帰宅しましたら、うれしい発見が。


私の暮らすアパートの2階の、反対側の角部屋に、意外な方が住んでらっしゃいました。


なぜそれがわかったかというと、洗濯物が干してあったから。






ガチャピンさん。


ご近所さんだったとは。



手狭ではないですか?


ドアの幅しかない玄関、アタマぎりぎりじゃないですか?


壁や天井は真っ白ですから、黄緑色がさぞ映えることでしょう。



ブログを拝見しましたら、相撲部屋で力士に投げ飛ばされていましたね。


どうりで。


砂を洗い落とすの、大変だったでしょう。



今は冬だから大丈夫かもしれませんが、夏にベランダに干すと、隣の森から虫が飛んできて、その服……肌……皮……黄緑色のものにたかると思いますので、気をつけてくださいね。



その森にはタヌキもいますね。


ちょうどあなたの部屋の真ん前で、私はそれに会いました。


なかなかかわいいヤツだったので、食べないでもらえたらうれしいです。




角部屋は窓がたくさんあって、明るいのはよいことですが、冷えますよね。


首から下に黄緑色のものがない今、寒さに震えていることとお察しします。


どうかお風邪など召されませんよう。




大都会の近所づきあいの希薄さに甘えて、ご挨拶にも伺わず、失礼しました。


いつかそこいらでお会いできることを楽しみにしております。



ガチャピン様。



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2013.02.08 Friday 14:10

さいふのこと。

 


歴代の財布は、ほとんど、がまぐちです。


ぷちんとひらいて、ぷちんととじる。

手のなかに、ころんとおさまる。

買い物カゴとがまぐちを持って商店街の八百屋に行けば、気分はサザエさん。


今のがまぐちは、使いはじめて10年くらいたつでしょうか。

ふたつ折りにしたお札がちょうど入る、見た目はごく普通のがまぐちなのですが、容量がなにしろすごい。

ぷちんと開くと、じゃばらのように広がって、ポケットが大小7つ。

お札も小銭もポイントカードも領収書も、ばこばこ入ります。


皮はくたりと手になじみ、壊れることなく、お金の出し入れに不自由することなく、何の不満もなく使い続けていたのですが、最近、ある重大な問題に気づきました。


それは、うすぎたない、ということ。


もとも渋い桃色だったのが、くすむだけくすみ、部分的に色落ちし、金属ははげ、見るも無惨な状態です。


私がお金だったら、こんな財布に入りたくありません。


こりゃいかん。


大人の女が持つものといえば、やはり長財布でしょうか。


お札は折らない方がいいとか、黄色がいいとか、いろいろ言われますよね。


もうずいぶん昔、20代なかばごろ。

ほんのいっとき、黄色い長財布を手にしたことがあります。


妹が、ごみばこに捨てようとしたのをもらったのです。

でかくて黄色い、ルイヴィトンの長財布でした。

名古屋の娘といえば、ブランドもの。

私が持っている布のかばんなど「ずたぶくろ」と呼ばれ、哀れなまなざしを向けられていました。

当時の妹はかなり、ぶいぶい、といわしていましたので、部屋じゅうブランドものだらけ。

ヴィトンといえども、気に入らなけりゃ、ただのごみ。


そのごみになる寸前の財布を、

「わたしが使ってたらうけるかな」

というだけの理由でもらいました。


ずたぶくろから現れるその財布は、案の定、笑いをさそいました。


でかくてポシェットに入らない、などの理由で使わなくなったのでしょうが、今思い返すと、黄色い長財布時代、私は、稼いでいました。


かけだしのフリーライターにもかかわらず、なんとなく仕事をいただいて、週2日くらい働けば、生活できるくらい。

東京に引っ越す資金をためるべく、短期間に馬車馬のように働き、結果、上京してから1年くらい、ぷらぷらしていました。


あれは、高級な黄色い長財布のおかげだったのか。。。


上京後、がまぐちを使い続けている私に、もうけ話が舞い込んでくることは、ただの一度もありません。


立派な財布を手にすれば、がっぽがっぽで、うはうはになれるのだろうか。



私にも、いわすことができるのでしょうか。


ぶいぶい。


どこからその音がでるのでしょうか。


ぶいぶい。


一度でいいから聞いてみたい。


ぶいぶい。



そのためには、うすよごれた財布から卒業せねばなりません。


しかし、ぷちん、も捨てがたい。


すべての要望をかなえるのは、


高級ブランドで黄色くて長くて容量が大きくてポケットがたくさんあってポシェットに入る地味ながまぐち。



そんなものが、この世にあるのだろうか。

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2013.01.28 Monday 11:07

着るもののこと。

私ほど、ものぐさな人間はいないのではないかと思う。


塗るのも直すのも落とすのもめんどうだから、化粧はやめました。


髪も1本に束ねるだけ。

洗うのも乾かすものもめんどうだから、男だったら絶対坊主だったでしょう。


爪を切るのもめんどくさく、生えた先から溶けていってほしいと切に願っています。



このところ強く思うのが、もう服を選びたくない、ということです。


機能優先、おしゃれ度は低く、パターンもそう多くありません。


たんすの中は、紺やグレーや茶色などのくすんだ色ばかり。


選ぶほどの服はないはずなのに、それでも、めんどうでしかたないのです。



前回にひきつづき、スタジオジブリ作品「魔女の宅急便」の話をいたします。


私の理想の格好は、主人公キキの服です。


魔女の掟で、修行中に着てよいのは、飾り気ひとつない真っ黒のワンピースのみ。


いいなぁ。



ファッションというものにあまり頓着のない私ですが、持っている服のなかで、お気に入りの一枚があります。


キキと、「部屋での仕事着こそ一張羅」という向田邦子さんの言葉に影響をうけて、数年前に購入した水色のワンピース。


丈夫な綿、長袖、低いスタンドカラーの襟、すそまでまっすぐ伸びるAライン、大きなポケットふたつ、丈はひざちょうど。


マーガレットハウエルというブランドのマーガレットハウエルさんの仕事着がモデルになっているとか。


主に、旅の仕事の最中、ホテル内で着用しています。

室内は、年中だいたい同じ気温なので、それ一枚ですごせます。

頭からずぼっとかぶって、それでおしまい。

仕事するもよし、くつろぐもよし。

伸びず縮まずしめつけず、あぐらもかけます。

もう何年も着続けているのですが、これがすこぶる快適なのです。


見た目はほぼパジャマなので、外出することははばかれる。

でも本当は、毎日それを着て過ごしたいくらい。


理想は、同じ形のワンピースが7枚あって、日替わりでそれを着る。

パンツも肌着もくつしたも全部一緒の色と形。

それを週末にまとめて洗う。


洗濯物も、たんすの中も、どれだけすっきりすることでしょう。


しかし煩悩に溢れる未熟な私は、暑い寒いとか、今日は大人と打合せ、とか、肉体労働の現場、とか、いろいろ理由をつけては、似たような色合いの、多少形の違う服をとっかえひっかえ着ておるのです。


いさぎよく「山田の制服」を決めてしまいたい。


それを何十年も着続けたい。


そしてそのまま年をとり、


「毎日同じ服を着ているかわりもののおばあちゃん」


と近所の人にささやかれたい。



万能ワンピースを探す旅はつづきます。


まずは煩悩すてねばなりませぬ。

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2013.01.18 Friday 10:04

トトロにおもうコト。


高校時代からの友人と、

ときどき、お互いの家でご飯を食べてお酒をのみます。

彼女もひとりくらし。

お惣菜を買ってきたり、ありあわせのもので適当に料理したりの気楽な宴。

支度も整ってさあのもうか、となったあたりで、

どちらかが「今日は何にする?」と切り出します。


選択をせまる「何」とは、ジブリのDVD

「今日はどのジブリ作品を見ながらお酒をのもうか」

というのが、質問の意図するところです。

彼女と部屋でのむときは、きまってジブリ。

もう全部知ってるから見なくてもいいし、たまにちらりと見ても楽しいし、ちょうどよいのです。


見る作品は、ふたりのそのときのコンディションによって決まってきます。

のほほんとしたいときは「となりのトトロ」

元気で前のめりなときは「千と千尋の神隠し」

ちょっと元気がないときは「魔女の宅急便」

よっぱらってきたら「ハウルの動く城」

などのように。


ざわざわした心をなだめるときにもうってつけの「となりのトトロ」。

山や田んぼ、おばけ好きのやさしいお父さん、一度でいいからお腹にしがみついて空を飛びたいたいトトロ

平和な要素しか見あたりません。

ただ、ひとたび私に「あるスイッチ」が入ってしまうと、もっとざわざわしてしまうという作品でもあります。


そのスイッチとは「メイのバカ!」です。


お姉さんのサツキと、妹のメイ。

メイはわがままを言ってサツキをこまらせます。


三人姉妹の長女である私は、

どうしたってサツキに感情移入してしまう。


雨のなか、バス停でお父さんを待っているふたり。

なかなかお父さんがこなくて、メイは眠くなってしまいます。

サツキはカサをさしながら、メイをおんぶします。


5つ下の妹を、保育園に迎えにいった10歳ごろの出来事。

その日はよりによってお昼寝の布団を持ち帰る日でした。

肩に大きな布団をかけ、手をつなぎ、歩きます。

序盤も序盤にぐずる妹。

「もう歩けない!歩きたくない!やだやだ!」

いやいや、そういわれても。

テコでも動かず号泣がやむ気配もないので、布団を抱え、妹をおんぶして、家に帰りました。


あの重み。

わかるよ、サツキ!

妹め。


メイが勝手に家を出て、迷子になります。

町の衆が総出で探しまわり、大騒動に。


たしかこれも同じ10歳くらいのころ。

母と、ひとつ下の妹と、親戚のおばさんの家に行きました。

おばさんの家から、妹とふたりで近所におつかいにいくことに。

目的地に着き、用事をすませ、来た道を戻っていると、妹が

「こっちにいきたい」

と知らない道を指さします。

私は

「だめ、ぜったい」

と止めました。

帰り道がわからなくなったらどうしようというのでしょうか。

しかし妹は、頑としてゆずりません。

「こっちにいく!」

「だめ!」

「こっちにいくんだもん!」

「だめったらだめ!」

「じゃあひとりでいく!」

「だめ!」

「いくもん!」

「もう、かってにしなよ!」


私はひとりでおばさんの家に帰りました。

妹は案の定、迷子になりました。

警察まで出動する始末。


あの、のしかかる責任感。

わかるよ、サツキ!

妹め。


妹という生き物は、どうしてこうも自分勝手なのでしょうか。

困ったら誰かがなんとかしてくれる。

わがままを言って、甘えて、許されて。

「おんぶ〜」とかいっちゃってさ。


しかし今となっては、

おとなしく真面目なはずだった長女が、

東京でよくわかない仕事をしてろくすっぽ帰って来ず、

妹たちが実家を切り盛りしているわけですから、

かたじけないといいますか、めんぼくないといいますか。

自分勝手なわがままが、大人になってヘンな形で現れてしまいました。


とまあ、こういった一連が、トトロを見ながらざわざわっとしてしまうコトなのです。


さてさて。

思い出話をつらつらと書いてしまいましたが、

今宵会うのは、遠くの妹ではなく、近くの友。

何にしましょうか。

「魔女の宅急便」にしようかね。

おちこんだりもしたけれど、げんきでいようじゃないか。

都会の片隅で、肩をたたきあうとします。





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2013.01.08 Tuesday 09:35

もちつきのこと。

 


毎年秋ごろになると、実家からかかる電話の〆の言葉が決まってきます。


「餅つきにはこれるの?」


愛知県にくらす山田家は、毎年12月30日に餅をつきます。


名古屋駅から急行電車で約15分、その駅から徒歩10分。

バリバリの郊外の住宅地なのに、なぜか我が家だけは畑を耕し、井戸の水をくみ、餅をついています。


「正月は帰ってくるの?」とはあまり言われません。


とにかく、餅つき。


餅つきの出欠がどうしてもとりたいようです。


餅つきには、叔父叔母従兄弟やその友人たちが子供も連れてわんさかやってくるので、実家を離れて15年以上もたつ私なんて別にいらないはずなのに。


「餅つきには全員集合」


これが大前提なのです。



12月30日。


早朝、まだこちらが布団に入っているうちから、パチパチと薪が燃える音や、ぺったんぺったんと餅をつく音が聞こえ始めます。


続々とやってくる知っている人や知らない人。


案の定、私はとくにやることがありません。

居場所のない私は、喧噪からそっと離れ、甥っ子の勉強机に座り、自由すぎる自由帳をのぞき見たりしながら、息をひそめていました。


しかし定期的に呼び出しが入ります。


「あんころもちだよー!ねーちゃーん!あんころもちやるよー!ねーちゃーーーん!」


ねーちゃんとは、一族の長女である私のこと。


「ハイハイ」と机を離れ、手を洗い、縁側にむかいます。


あんころもちは、もちにあんこを詰めたもの。


餅がやわらかいうちに丸めなければならないので、スピードが命。


女は全員この作業をするという義務があります。


こどものころから、これは「絶対」の掟。



男衆が餅をつく。





つきあがる。





女衆が。





あんこを。





つめる。丸める。






不思議なもので、何年ブランクがあろうとも、餅とあんこを前にしたら、勝手に手が動くようになっています。


私のとなりには、誰の子かもわからない、名前も知らない5歳くらいの女の子。


女は全員集合なので、彼女は当然のようにそこに座り、見よう見まねで餅をのばしています。


「まんなかをのばしたら、あんこがでちゃうよ」


つい声をかけました。


「あんこをのせたら、ふちっこをつまんでうすくしながら、くっつけて。そうそう、じょうず。手に粉をつけて。はい、両手でころころころころ」


彼女には、「自己責任」という言葉を教え、完成したあんころもちを、七輪のところに持っていかせました。





できそこないの餅は自分で食べるのものルールのうち。


幼き私もこうやって、おばあさんたちに教えられていたんでしょうね。



脈々。



餅つきはこのように先祖の代から受け継がれているわけですが、


唯一のネックは、山田家がおしなべて、


「餅をつくのは好きだけど、餅はあんまり好きじゃない」


ということ。


だいたいいつも年末ごろまで冷凍した餅が残っていて、


「誰か食べて〜」と餅のなすりつけあいになります。



つかなきゃいいのに。



でもまたつくんでしょうね。



だってセイロが、まさかの新品でしたもの。







「あと30年はできるな〜。がっはっは」


還暦を越えたおじさんたちが笑ってました。



静かに見守ろうと思います。


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